先日、梅雨入り宣言が出され、しばらくは鬱陶しいお天気とのお付き合いがはじまります。梅雨が明けると夏。仏事では新盆にはじまりお盆や施餓鬼といった毎年の行事が始まってまいります。今年はコロナの影響も弱まり、夏祭りも開催されるところが多くなるようです。今回は夏祭りには欠かせない「盆踊り」ついて触れてみたいと思います。
盆踊りの由来
「盆踊り」は夏祭りの際に行われることが多く、皆様も一度は参加したり、見学したりと、誰でも気軽に参加できるお祭りの行事であると思っている方が多いでしょう。実は「盆踊り」の起源は、神聖な行事であり、お盆の時期にお迎えしたご先祖様の霊をもてなして一緒に過ごし、送り出す行事として何百年も前から行われてきました。
元々は仏教の「念仏踊り」が起源であるとされています。「念仏踊り」とは、自分自身で念仏を唱えながら踊るというもの。後に踊る人と念仏を唱える人が分かれ、「踊り念仏」へと発展しました。これらの踊り念仏とお盆が結びつき、現代の盆踊りが誕生します。現在はお盆以外の時期に盆踊りを行うこともありますが、本来は旧暦の7月15日に盆踊りを行って16日にご先祖様の霊を送り出します。宗教的側面が非常に強く、先祖の霊を大切にしていく大事な行事として守られてきました。
盆踊りの変化
「踊り念仏」が広まったと言われているのは鎌倉時代です。時宗の開祖である「一遍上人」様が日本各地に広め、一世を風靡しました。室町時代に入ると、「踊り念仏」は「風流踊り」として催され、人が踊るための要素が多く取り入れられました。「風流踊り」として確立されると、江戸時代には若い男女を中心とした祭りへと変化し、男女の出会いや憂さ晴らしを目的とした娯楽的な要素を含み加速していきます。その結果、世の中の風紀を乱していくことになり、「盆踊り」は取り締まりの対象とされ、一時的に衰退していきます。しかし大正時代に起こる民芸運動を機に昭和初期にかけてブームは再燃していきます。戦後以降の「盆踊り」は宗教的な側面は薄くなり、祭りの行事として実施されてきました。
四国の阿波踊り
私たちの住む四国には「阿波踊り」があります。「阿波おどり」は徳島県徳島市で行われる400年以上の歴史を持つ日本最大規模の盆踊りです。市民社会に定着した阿波おどりは自由な民衆娯楽として花開き、特に戦後は復興の象徴として目覚ましく発展。毎年8月12日から15日までの開催期間中には、約10万人の踊り子が繰り出します。
「盆踊り」は先祖の霊をもてなし送り出す行事から、伝統芸能へとなり、意味合いも少しずつ変わっていきましたが、普段何気なく聞くであろう「盆踊り」のワードに、「お盆」や「先祖供養」重ね合わせ、「盆踊り」に参加する時は先祖の霊のための大切な踊りとしてしっかり楽しく踊っていきたいものですね。